みにくいアヒルの子の教訓とは?みんな納得できてる?

あひる

こんにちは、テルクニです。

皆さんも「みにくいアヒルの子」は読んだことありますよね。僕も子供のころに読み聞かせをしてもらって、その時はふんふんと聞いていましたが、大人になってから読み返してみると…

なんだろう、このコレジャナイ感

うーん、僕はオチというか最後の場面で結局綺麗な白鳥だった!というのは違う気がして、みにくい鳥のまま自信を持つというのが正解な気がしました。

 

でも、もう少し考えてみると、やっぱりこのお話には深いメッセージが込められていたのです。今回はみにくいあひるの子の教訓について考えたことをお伝えしたいと思います。

 

 

みにくいあひるの子のあらすじを紹介

まずはあらすじのおさらいをしておきましょう。

  • あひるの群れのヒナが孵るが、1匹だけ他のヒナと違う姿をしていた
  • お母さんは優しいが、他の兄弟にはいじめられる日々
  • 耐えきれないひな鳥は家族のもとを離れ、ほかの群れに行くがそこでもいじめを受ける
  • 心身がボロボロになったあひるの子は、茂みにキレイな3羽の白鳥がいるのに気づく
  • もういっそ殺してもらいたいと白鳥に近づいたひなだったが、いつの間にか大人になっていた
  • 湖に映った姿はみにくいあひるではなく、純白の白鳥だったのだ

思い出してもらえたでしょうか?

みにくいあひるの子はこのようなストーリーでした。では、この話の教訓はどこにあるのでしょうか。詳しく検討していきましょう。

 

みにくいあひるの子の教訓とは?

この話についてはおおよそ次のような教訓が言われています。

  • 他人と違うからと差別をしてはいけない
  • 自分に自信を持つことが大事だ

皆さんもこんなふうに考えていたでしょうか?確かにこの2つも当てはまるところはあると思います。

しかし、僕としては別の教訓がこの話のメインではないかと思うのです。

 

例えば、「他人と違うから差別してはいけない」という教訓はあまり感じられないような気がします。

というのも、差別していた他のあひるの子たちは別に痛い目を見ていないからです。こういう教訓の時は何か悪いことをする→その報いを受けるという展開が多いと思いますが、ここではそれは見られないですよね。

 

次に、「自分に自信を持つことが大事だ」という教訓のケースですが、これもちょっとズレています。

冒頭でも言いましたが、みにくいあひるの子のままで他の兄弟を見返すことができたならこの教訓は当てはまると思いますが、ストーリーの中では白鳥になっちゃってますからね。というかもう自殺まで考えていたのに自信とかないでしょ…と思ってしまいます。

 

では、この話の教訓とは何なのでしょうか。

 

教訓=人と違っても自分の中に可能性があること

僕はこの話の教訓は↑の通りだと思います。

まず、「みにくいあひるの子」は他の兄弟とは違い、1人だけ毛の色が異なりました。そういう意味ではこの子は集団の中で浮いている存在、マイノリティーです。

 

僕たちは多数決になれてしまっているので、数が多いこと=正しいことだと思いがちですが必ずしもそうではないですよね。

でも、敵が多いと「うわぁ…やっぱり俺がまちがってるんだな…」と自信を失いがちだと思います。

実際、「みにくいあひるの子」も話の中では迫害され、自殺を考えるまで追い詰められていました。

 

でも、そんなマイノリティーでもキラキラ輝くものがあるのです。それがみにくいあひるの子が白鳥だったという結末で描かれているのだと思います。

人と違っても、輝かしい可能性が自分の中にある。だから命を捨てて諦めてなんてはいけないんだというのがこの物語の教訓ではないでしょうか。

 

みにくいあひるの子を読んでみての感想

改めて読んで分析してみると、「みにくいあひるの子」には素晴らしい教訓が隠されているなと感じました。

僕もそうですが、自分では普通にしているつもりなのにマイノリティになりがちです。そしてやっぱり少数派だと「自分が間違っているんではないか…」とビクビクしてしまいがち。

もっと堂々としていればいいのに、自分から縮こまってしまうことが結構あるなーと思います。

 

でも、自分でもなかなか気づけないけど、素晴らしい部分は確かに自分の中にあって、あとはそれが何なのかに気付く必要があるのかなと感じました。

「みにくいあひるの子」も途中まで何なのか気づけませんでしたが、湖にうつる姿をみてはじめて自分が白鳥だったと気づいたように、僕たちにも自分の良い部分を気づける日がきっときます

 

その日まで、一緒に頑張っていきましょう。